絶対音感がないと作曲や演奏で通用しないというのは本当か
結論から言うと、絶対音感がなくても作曲や演奏で十分に通用します。プロとして活動している人の中にも、絶対音感を持たない人は珍しくありません。
絶対音感は、音を単独で聞いてドレミがわかる能力です。一方、実際の音楽制作や演奏で頻繁に使うのは相対音感、つまり音と音の距離感をつかむ力です。コード進行を理解する、メロディーを作る、耳コピをする。こうした作業のほとんどは相対音感で成立します。絶対音感は便利な道具のひとつではありますが、必須の資格ではありません。
たとえば、弾き語りで自分の曲を作っているシンガーソングライターがいたとします。ギターを弾きながら鼻歌でメロディーを探り、コードを当てはめていく。この作業に絶対音感は要りません。むしろ、コードの響きを体で覚えている相対音感のほうが役立ちます。
ただし例外もあります。オーケストラの中で瞬時に移調や転調を耳で捉える必要がある現場や、複数の楽器の微妙な音程のズレを一瞬で聞き分ける調律のような仕事では、絶対音感が強みになる場面があります。とはいえ、これはごく限られた専門領域の話です。一般的な作曲・編曲・演奏の現場で、絶対音感の有無が決定的な差を生むことはあまりありません。
楽譜が読めないとプロになれないのか
これも誤解です。楽譜が読めなくてもプロとして活動している音楽家は存在します。ただし、活動する分野によって必要度がかなり変わります。
楽譜は、音楽を記録し、他人と共有するための手段のひとつにすぎません。バンドやポップスの現場では、コード譜やタブ譜で十分にやり取りできることが多いです。一方、映画音楽やオーケストラ、吹奏楽の編曲を仕事にする場合は、五線譜の読み書きがほぼ前提になります。複数の楽器パートを同時に扱うには、譜面という共通言語が欠かせないからです。
具体的な場面を考えてみます。バンドでベースを弾いている人が、スタジオでコード進行だけ渡されて「ここはBメロ、ここでサビ」と口頭で説明を受け、耳で聞いて演奏を組み立てる。これはポピュラー音楽の現場でごく普通に起きていることです。楽譜が読めなくても、コードとリズムの感覚があれば対応できます。
ここは判断が分かれるところですが、将来的にスタジオミュージシャンとして幅広い仕事を受けたい場合や、映像音楽の分野を目指す場合は、楽譜を読む力をつけておいたほうが仕事の幅が広がります。逆に、自分の曲を作って発表する活動が中心なら、楽譜の読み書きは必須ではありません。
耳コピは特別な才能がないとできないのか
耳コピは才能というより、訓練で伸びる技術です。生まれつきの才能だと思われがちですが、実際は場数と方法の問題です。
耳コピができる人は、音を聞いた瞬間に「答え」がわかっているわけではありません。頭の中でコードの候補を絞り込み、実際に楽器で音を出しながら答え合わせをしています。このプロセスを繰り返すうちに、候補を絞り込むスピードが上がっていきます。つまり、パターン認識の蓄積です。
たとえば、ギターを始めて半年の人が好きな曲のイントロをコピーしようとします。最初は1小節に5分も10分もかかるかもしれません。でも、同じようなコード進行の曲を10曲、20曲とコピーしていくうちに、「このメロディーの動きなら、このコードが来やすい」という感覚が育っていきます。これは才能ではなく、経験値です。
ただし例外はあります。極端に複雑な現代音楽や、転調が激しいジャズの一部の曲は、経験を積んでいても時間がかかります。また、絶対音感を持つ人は音の特定が速い分、耳コピの初速で有利になることはあります。それでも、相対音感を鍛えた人が最終的に追いつくケースは多く見られます。耳コピは「できる・できない」の二択ではなく、「どれだけ時間をかけて慣れたか」の問題だと捉えるほうが実情に近いです。
音楽理論を学ぶと個性がなくなるという心配は当たっているか
結論を言えば、理論を学んだせいで個性が消えることはほとんどありません。むしろ、理論を知らないまま作った曲のほうが、無意識に他人の曲の模倣になっていることがあります。
なぜこの誤解が根強いのか。理由は、理論を学び始めた直後の時期に、一時的に「お手本通り」の曲になりやすいからです。コード進行のセオリーや定番の展開を覚えると、それを試したくなるのは自然なことです。この時期だけを見て「理論のせいでつまらなくなった」と感じる人がいます。しかし、これは通過点です。理論は道具箱を増やす作業であって、道具を増やしたことで作れるものが減ることはありません。
具体例を挙げます。ある作曲初心者が、感覚だけでコードを並べていた頃は、同じような進行の曲ばかり作っていました。理論を学んでダイアトニックコードの外側にある音を意識的に使えるようになると、逆に選択肢が増え、以前より幅のある曲を作れるようになった、というケースはよくあります。理論は制限ではなく、選択肢を増やす地図のようなものです。
もちろん、理論に頼りすぎて「セオリー通りに作ることが正解」と思い込んでしまうと、かえって画一的な曲になる危険はあります。ここは使い方次第です。理論は答えを教えてくれるものではなく、なぜその響きが心地よいのか、なぜ違和感があるのかを説明してくれる道具だと考えると、扱いを間違えにくくなります。
練習は長時間やるほど上達するという考え方は正しいか
時間の長さより、練習の質と設計のほうが上達に直結します。長時間の練習が無意味というわけではありませんが、時間だけを指標にすると遠回りになりやすいです。
上達の仕組みを考えると、練習で伸びるのは「できないことを、意識してできるようにする」プロセスです。すでにできることを何度も繰り返しても、脳や体への負荷が少なく、伸びしろは限られます。逆に、うまく弾けない箇所を分解して、遅いテンポから繰り返し、少しずつ元のテンポに戻していくような練習は、短時間でも効果が出やすいです。
たとえば、ギターの速いフレーズが弾けずに1時間ずっと同じテンポで弾き続けている人と、テンポを半分に落として15分だけ丁寧に練習し、その後少しずつテンポを上げていく人がいたとします。後者のほうが短い時間で、より確実に指が動くようになることが多いです。長時間やった達成感はあっても、実際の上達幅は別の話です。
もちろん、基礎体力に近い部分、たとえば発声の持久力や指の筋力のようなものは、ある程度の時間と反復が必要です。ここは短時間の工夫だけでは補いきれません。練習時間を減らせば良いという単純な話でもなく、「何を、どう鍛えるための時間か」を意識できているかどうかが分かれ目になります。時間を確保すること自体は悪くありませんが、内容が伴っていない長時間練習は、疲労感だけが残ることも珍しくありません。

